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出遅れおじさんです。
本日(米国時間9月11日)は、あの同時多発テロが発生した日で、あれから22年目が過ぎたことになります。
改めて犠牲となられた方方に哀悼の意を表したいと思います。
あの日、出張族であった私は、夜のおつとめ(?)を終え、ホテルに投宿しました。
はっきり覚えています。北九州市の小倉ステーションホテルです。
22時少し前だったと思いますが、いつものように延髄反射でテレビの電源を入れました。
時間帯的に当時の選択肢は「報道ステーション」一択でした。
静かにマンハッタンの風景が写っているだけでした。違うのは貿易センターのツインタワーの中程から黙々と煙が上がっていることでした。
「火事?」
そう思った私は、スーツを脱ぎネクタイを緩めながらベッドに腰を下ろしました。
「ただいま、もう一機、突入したとの情報です。」
女性キャスターの沈んだ声が印象的でした。
そして画面は変わり、ゆっくりスローモーションでビルの壁面に突入する旅客機・・・およそ常識の理解を超えた映像が繰り返されました。
「なんだ! これは!!」
最初のビルの映像は一機目が突入した後の映像のようでした。
しばらくニュースを見て、漸く事件の概要を把握しました。
その後、高層ビルの崩落する地獄絵のような、この世のものとも思えない画像をまんじりともせず見入ってしまいました。
漸くネクタイを解いて、シャワーを浴びたのは3時過ぎだったと思います。
翌朝、帰路の福岡空港の出発ロビーのテレビの前は昨夜来のニュースに黒山の人だかりでした。
9時になって、ニュース速報の警報音のともに「日経平均10,000円割れ」のテロップ。
当時は株式投資とはまだ無縁でしたが、「世界が崩壊していく」と歩く足下がゆらゆら揺れるような感覚を感じました。
同じ感覚を感じたのは、それから9年と6ヶ月後の3月11日の東日本大震災の日でした。
今朝(9月12日)のニッポン放送「OK Cozy up!」のゲスト解説のキャノングローバル研究所の峰村健司氏のコメントが心に残っています。
当時の米国は民主党クリントン政権から共和党のブッシュ(息子)政権に替わったばかりで、あまりに親中的な方向に振れた外交姿勢を引き戻そうとしていた矢先に同時多発テロが発生。
中国の人権問題等に対峙しようとしていた政治リソースをイスラム過激派に割かざるを得なくなった。
歴史に「if」を言ってはいけないけれど、もしこの同時多発テロがなかったら、中国のここまでの膨張(増長?)を許すこともなく、世界のパワーバランスは変わっていたのではないか。
とのことでした。
この言葉が妙に刺さったので、思わず昔語りをしてみました。
有り難うございました。