出遅れリタイア日記

年金生活への移行 資産運用等

10年前のあの日、目の前に巨大な火球が・・・

当ブログをご訪問頂きまして大変有り難うございます。

出遅れおじさんです。

 

 今日は3月11日です。

 東日本大震災で亡くなられた多くの方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方に心よりお見舞いを申し上げます。

 

 被災地から遠く離れた首都圏でのうのうと暮らしていた私にとっても10年前のあの日は忘れがたい一日となりました。

 

 あの日、午後は会議も無く、執務室でPC画面を眺めていたところ、結構激しく揺れを感じました。

 おもむろにNHKをつけたところ、国会の予算委員会の中継中でしたが、委員会室も結構揺れたようで、「オ、オッ」という声が上がるのとほぼ同時にNHK地震緊急画面に切り替わりました。

 しかし揺れはさらに激しくなり、「これは大変な地震だ」と初めて実感しました。

 社内の設備の稼働状況を確認、敷地内で建設工事が行われていたのですが、作業員の待避が完了、点呼が終わって全員の無事が確認できました。

 

 地震後30分が経過していたでしょうか、事務所の会議室で地域のコンビナート他社の状況等情報収集に当たっていたところ、一人の担当者が窓際に座っていた私の方を指さして「アッ」と声を上げました。

 

 振り向いたところ、ほぼ窓一面に巨大な赤黒い火球が見えました。

 

 最初は社内か近隣施設の事故だと思いましたが、1分ほどタイムラグがあったでしょうか、NHKの空撮画像に巨大な火球が写り、市原市(千葉県)のコスモ石油殿の製油所で爆発事故が発生したと報道されていました。

 真反対というわけでは有りませんが、東京湾を挟んだ爆発事故の火球が目の前で発生したかのように見えたのは驚きでした。

 

 同じ感覚の方は多かったようで、震災発生直後千葉市にあるJFE殿の製鉄所で爆発事故があった模様という報道がNHKでも流されていましたが、製鉄所での事故では無く、千葉市内から見ると製鉄所の遙か向こうのコスモ石油殿の火球が間近に見えていたようです。

 

 その後も釜石市(岩手県)や名取市(宮城県)の津波の生々しい映像に打ちのめされた一日でした。

 

 それでも、自ら或いはご家族やご友人を亡くされた方々、家や地域等の生活の場を無くされた方々に比べれば自分は恵まれた位置にいられたと感謝しております。

 

 これからも、年に一日ではありますが被災された方々へ思いを馳せ、鎮魂と感謝の日を過ごしたいと思います。

 

有り難うございました。